【エッセイ】一粒の麦を地に蒔いて…

2019/08/28 ブログ
【エッセイ】一粒の麦を地に蒔いて…

時代はバブル期。水産を学んだ後、就いた仕事が、食品冷凍技士であった。


あるとき、函館の「生簀イカ」を仕入れ、液体窒素で急速凍結して東京に持ち帰り、売ってみるという仕事をした。

 

「生簀イカ」は、漁船が釣り上げたイカを、生簀で生かしたまま朝市へ水揚げするもの。函館には、活魚ブームの以
前から、生きたイカを料理する文化が根付いていた。漁から消費まで、関わる人にはイカを大切にする心があった。
それ故に、身が透き通る鮮度、パキパキとした食感、そして舌にねばる甘い余韻、日本一のイカ刺しの味を実現していた。素材に優る調理はない。そう実感した。


さて私が冷凍した生簀イカは、結果的に売れなかった。やはり「冷凍」は、どれほど高い技術でも、元の素材、生きたイカより美味くはできない。私は思った。食は文化だ。風土も味だ。いちばん美味いのは、「地産地消」だと。それは食品冷凍技士としての挫折でもあった。


その後バブルは崩壊し、私は妻の協力で3度も転職した。一貫していたのは、美味いものを作る仕事だったこと。


時代が新世紀になった年、北海道に暮らして5年が過ぎていた。当時私は、地産地消の地ビール会社で醸造士をしていた。が、社長と考えが合わず、苦悩した。自らの出資ではない会社の、経営に意見することはできない。資本主義を実感し、またしても挫折した。


次の転職はラーメン店主、博多一風堂の代表河原氏との出会いで決めた。河原氏は、就活中のT社の会合に来ていた。


その会合の内容は、小樽運河に第二のラーメン博物館を立ち上げようというもの。おもしろかった。テレビで頻繁にラーメン番組が放送されていた当時、業界には活気があり夢が見いだせた。博多で一風堂の研修も受けた。実店舗の開業も担当した。大行列の店となった。身を粉にして稼いだ。でも、空しさが残った。


麺を打ち、スープを取って、具を盛り付ける。ラーメンという一杯の料理には、作り手の人生が映る。挫折のたびにいつも感じた葛藤。それは、手から手へ「こころ」をつなぐ方法で、美味いものを提供したいという思い。自分の思いを果たすには、自分で開業するしかない。3度目の転職は、起業であった。


北海道の大地の恵み、小麦。その一粒一粒までも大切に味わいたい。ラーメン札幌一粒庵、その思いをこめた店名である。


開業して10年を経た。札幌名物に成長したいものだ。大志はいまだ道半ば。