【エッセイ】一粒の麦を地に蒔いて… (広報誌ほくれん2016年6月号)

2019/08/28 ブログ
【エッセイ】一粒の麦を地に蒔いて…

時代はバブル期。水産を学んだ後、就いた仕事が、食品冷凍技士であった。


あるとき、函館の「生簀イカ」を仕入れ、液体窒素で急速凍結して東京に持ち帰り、売ってみるという仕事をした。

 

「生簀イカ」は、漁船が釣り上げたイカを、生簀で生かしたまま朝市へ水揚げするもの。函館には、活魚ブームの以
前から、生きたイカを料理する文化が根付いていた。漁から消費まで、関わる人にはイカを大切にする心があった。
それ故に、身が透き通る鮮度、パキパキとした食感、そして舌にねばる甘い余韻、日本一のイカ刺しの味を実現していた。素材に優る調理はない。そう実感した。


さて私が冷凍した生簀イカは、結果的に売れなかった。やはり「冷凍」は、どれほど高い技術でも、元の素材、生きたイカより美味くはできない。私は思った。食は文化だ。風土も味だ。いちばん美味いのは、「地産地消」だと。それは食品冷凍技士としての挫折でもあった。


その後バブルは崩壊し、私は妻の協力で3度も転職した。一貫していたのは、美味いものを作る仕事だったこと。


時代が新世紀になった年、北海道に暮らして5年が過ぎていた。当時私は、地産地消の地ビール会社で醸造士をしていた。が、社長と考えが合わず、苦悩した。自らの出資ではない会社の、経営に意見することはできない。資本主義を実感し、またしても挫折した。


次の転職はラーメン店主、博多一風堂の代表河原氏との出会いで決めた。河原氏は、就活中のT社の会合に来ていた。


その会合の内容は、小樽運河に第二のラーメン博物館を立ち上げようというもの。おもしろかった。テレビで頻繁にラーメン番組が放送されていた当時、業界には活気があり夢が見いだせた。博多で一風堂の研修も受けた。実店舗の開業も担当した。大行列の店となった。身を粉にして稼いだ。でも、空しさが残った。


麺を打ち、スープを取って、具を盛り付ける。ラーメンという一杯の料理には、作り手の人生が映る。挫折のたびにいつも感じた葛藤。それは、手から手へ「こころ」をつなぐ方法で、美味いものを提供したいという思い。自分の思いを果たすには、自分で開業するしかない。3度目の転職は、起業であった。


北海道の大地の恵み、小麦。その一粒一粒までも大切に味わいたい。ラーメン札幌一粒庵、その思いをこめた店名である。


開業して10年を経た。札幌名物に成長したいものだ。大志はいまだ道半ば。

 

2016-6月

ラーメン横丁一粒庵

創業の精神・・・「 こころ 」

私は、2004年に、すすきの地区にある「元祖・ラーメン横丁」の一角で創業しました。

元祖ラーメン横丁には、合わせて17軒のラーメン店が軒を連ねております。その多様性において、日本中のどのラーメンテーマパークよりも競争が激しい、密度の濃いラーメン商業地区と言えるでしょう。

「選ばれる店」にならなければ、生存できません。それを自覚したその時。私が決意したのは・・・

それはラーメン横丁一粒庵のお出しものは、

「こころ」にしようと。

 

 

 

こころ

北海道の大地の恵み・・・小麦
ラーメンの「麺」の主原料である小麦の、一粒一粒までも大切に味わいたい。
その思いが、『 ラーメン札幌 一粒庵 (いちりゅうあん) 』の店名の由来です。
 
誰もが忙しい時代、ファストフードはどこにでもあります。
でも ラーメン札幌 一粒庵では、北海道の良い食材を 丁寧に料理して じっくり味わう。スローフードに取り組んでみようと考えています。

1.ラーメンに対する こころ
わたしは、「素材に優る調理はない」と考えております。
だからわたしは、北海道産の食材へのこだわりを大切にしています。
ラーメンの本場 札幌で、地元のよい食材を使って、ラーメンを作れることに喜びを感じております。

ラーメンを召し上がって下さるお客様には
ぜひ、「おいしい感動」をしていただきたい。
ラーメンを通して、おいしい食材を育む北海道の自然と風土の素晴らしさをお伝えできれば幸いです。

2.店(庵)を訪れるお客様に対する こころ
小さな当店をお茶室に見立て、店名に「 庵(いおり)」の字を入れたのは、茶人 千利休が説いた「一期一会」をこころの目標にしたいからです。
そして、まずは身近な地元の方にご満足を。
それが、外来の方にも伝わるように。

わたしは、自分のラーメンが「理解され、愛されること」を望むそのまえに、まず自らが、お客様のお望みを理解したい。
まず自らが、お客様を愛することを心がけたい。と思います。
接客の真髄は奉仕のこころ。
『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば多くの実を結ぶ。』聖書 ヨハネ十二章二十四節より・・・・

二〇〇四年一月六日(創業日)
ラーメン横丁一粒庵 店主 大島 庸司

 

真夜中のラーメン

ラーメン横丁一粒庵は、およそ40か月間の営業でした。その期間が、私にとっての『修業時代』と言えます。

私の実家は、東京・六本木で「クナイペ・じゃがいも」というドイツ家庭料理店を営んでいました。(1980-2002年)ちょうどバブル真っ盛りの時代。1990-95年の5年間にわたり、私も同店に勤務しましたが、店主の母とは志が合わず、後を継ぐという発想はありませんでした。なので『修業』したとは言えません。

その後、「ドイツビールの醸造士」という職を得て、北海道北見市に移住しました。が、その職も貫徹せず「独立できる仕事」を求めて転職しました。転職先で出会ったのが「ラーメン業界」です。転職先の会社は、飲食業のプロデュースをする会社でした。私は会社員として「ラーメンを作るスキル」を身に付ける機会に恵まれました。そして「ラーメン店を作るスキル」もです。しかし、これも真の意味での『修行』と言えません。わたしは犠牲を払っていなかったからです。

横丁の真夜中のラーメン

ラーメン横丁での40カ月が『修行』と言えるのは、その時代に私と妻は人生をかけて戦っていたからです。体力(学生時代、体育会山岳部で鍛え上げました)・知識(女将と二人、バブルの六本木でボーナスの全て注込んで食べ歩きしました)・精神(縁故のない札幌で独立開業し、背水の陣で覚悟を決めました)持てる時間すべてを一つのことに捧げる「犠牲」があったからです。

写真は、真夜中のラーメン という思い出のメニューです。

 

 

しょうゆラーメン(元味)

しょうゆラーメン(元味)ストレート麺

コチラは日本醤油協会から、「醤油名匠」に認定された2007年に、世界文化社の「家庭画報:創刊50周年記念…日本の美味遺産」に掲載されたメニューです。

こんなメニューを作りながら、いつしか「横丁で一番並ぶ店」と言われるようになりました。